素敵!美術館その1
フィラデルフィア美術館
映画『ロッキー』の一場面、ボクサーとして再起を誓った主人公がまだ陽も昇らない早朝、霧のなかをフィラデルフィア美術館の正面の階段を駆け上がってゆきます。
そんな一シーンですっかり有名になったフィラデルフィア美術館は、1876年の独立百年博覧会の遺産を受け継ぐ美術館としてフェアマウント公園内の記念館に置かれました。
同館は、その規模においてメトロポリタン美術館に匹敵するといわれ、見学にたっぷり一日は必要です。
フィラデルフィア美術館
映画『ロッキー』の一場面、ボクサーとして再起を誓った主人公がまだ陽も昇らない早朝、霧のなかをフィラデルフィア美術館の正面の階段を駆け上がってゆきます。
そんな一シーンですっかり有名になったフィラデルフィア美術館は、1876年の独立百年博覧会の遺産を受け継ぐ美術館としてフェアマウント公園内の記念館に置かれました。
同館は、その規模においてメトロポリタン美術館に匹敵するといわれ、見学にたっぷり一日は必要です。
フォッグ美術館
とくに見逃せない作品は、シモーネ・マルティー二の『十字架上のキリスト』、フラ・アンジェリコの『礫刑罰』、セザンヌの『コモドの静物画』、モネの『サン・ラザール駅』、ゴッホの『自画像』などです。
ただし、ハーバード大学所有の絵画は、美術館内だけではなく、学長室や応接間などにも散在しています。
一説には館外の作品が展示品の十倍もあるといわれているほどです。
美術館を訪問したついでに、この伝統のある名門校、ハーバード大学のキャンパスを見て回るのもけっして無駄なことではないでしょう。
フォッグ美術館
コレクションの内容は時代的にも地理的にも非常に多岐にわたっています。
600点におよぶ中国製のヒスイの彫りものは世界最大と目されているし、プレ・コロンビア期の金製品の遺物、ヨーロッパの中世美術も充実、さらに19世紀フランスの素描の大コレクションも世界有数のものです。
その他、ギリシア・ローマの大理石彫刻、イタリア・ルネサンス期の絵画、ルーベンス、ドラクロワ、ピサロ、ルノアール、モネ、ドガらの作品がある℃新しいところではモーリス・ルイス、ポロックなど。
フォッグ美術館は現在、館内にはハーバードの美術史学科のクラスや研究室の他、修復センター、図書館等も併設され、大学美術館らしいアカデミックな奥行きをみせています。
また、この美術館は美術史家や学芸員の養成所、研究所としてもアメリカ国内で貴重な存在。
これはチャールズ・エリオット・ノートンやポール・サッチといった美術史家が館長として指導力を発揮したためででした。
ノートンの学生だったグレンヴィル・ウインスロップは1943年に約3700点の美術品をフォッグ美術館に寄贈、コレクションの充実にも貢献しています。
フォッグ美術館は、1891年にエリザベス・パーキンス・フォッグ夫人が、亡夫ウィリアム・ヘイズ・フォッグ氏の記念にと創設したハーバード大学付属の美術館です。
オープンは1895年。
当初、この美術館はハント・ホールのなかに置かれていたが、1927年に現在の場所に移転しました。
建物を設計したのはボストンの建築会社で、建設当時では最も進んだ設備を持った美術館といわれていた。
アンリ・マティスは、フランスの画家です。
野獣派(フォーヴィスム)のリーダー的存在で、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けました。
自然をこよなく愛し、「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家でした。

『ダンスI 』 1909年 ニューヨーク近代美術館蔵
初期の作風は写実的なものでしたが、ゴッホやゴーギャンの影響を強く受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになりました。
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、『ダンスI』(1909年)など、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表。
モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになります。
しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、それ以降は比較的静かな作品を描くようになっていきます。
マティスが「私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」という言葉を残している通り、フォーヴィスムと呼ばれることをひどく嫌っていたそうです。
やがて線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達します。
『ジャズ』シリーズなど、切り絵の作品をたくさん残しています。
ジョルジュ・ブラックは、フランスの画家です。
ピカソと共にキュビスムを創りました。
ブラックの絵画における発明の才には、巨匠ピカソも一目置いていたそうです。
ブラックの画風は第一次世界大戦を挟んで一変しますが、生涯に渡って絵を描き続けた画家です。
素晴らしいですね。
仲間うちからは「白い黒人」と描写されるほど体格が良かったそうです。

「ギターを持つ少女」 1912年 パリ国立近代美術館蔵
ピカソは1908年から、「セザンヌ的キュビズムの時代」と呼ばれる時期に入ります。
ポール・セザンヌのような描き方を、アフリカ彫刻のキュビズムで描いた時代です。

『扇子を持つ女性 (舞踏会の後)』 1908年 エルミタージュ美術館蔵
ピカソはアフリカ彫刻に強い影響を受けます。
ピカソの「アフリカ彫刻の時代」とされているのは1907年から1908年。
この時期にキュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれました。

この後、「セザンヌ的キュビズムの時代」がやってきます。1908年後半のことです。
これは、セザンヌの描き方をアフリカ彫刻のキュビズムで描いたもの、とされています。
パブロ・ピカソはスペインのマラガに生まれ、主にフランスで制作活動をした画家です。
ジョルジュ・ブラックと共に、キュビスムを創ったひとりです。
生涯に約13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、
最も多く作品を創った美術家としてギネスブックに記されています。
ピカソはその作風がめまぐるしく変化した画家として有名で、それぞれの時期が「◯◯の時代」と
呼ばれています。
●青の時代(1901年-1904年)

「青の時代」を代表するピカソ20歳の自画像です。
親友カサヘマスの自殺にショックを受け、その悲しみによって「青の時代」が始まります。
青色をベースとする暗青色を基調として、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを多く描きました。
●バラ色の時代(1904年-1907年)

この時期はフェルナンド・オリヴィエという恋人を得たことが影響し、明るい色調で主にサーカスの芸人
などをよく描いています。
ピカソと言えば・・・という広く知られているキュビスムの画風には、まだ近づいていません。
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